本作品は,背景の塔屋の安定した構図,手前の家の煙突から出る煙,中央に陽がさして,闊歩する白馬の騎士,前景の水辺の小舟と漁夫など,この画家の詩情的な特質をよくあらわしている.騎士や馬車については同時代の他の画家の手によっている可能性があるが,水辺の小舟と人物や煙突のある家屋などはこの画家の典型的な作風と考えられる.
本作品の制作年記について,ステコーは署名・制作年を記載しておらず,ベルントの鑑定でも明言を避けている.しかしながら,署名のスタイルはステコーによるタイプUで1660年以後のものであることからみても,1661年と判断するのが妥当と考えられる.サロモン・ライスダールの縦長の構図というのはステコーのカタログの600点以上の作品で冬景色と静物画を除いたうちの61点で,これらの中で本作品が群を抜き最大である.
本作品は,ルーブル美術館に所蔵されている「大きな塔のある河の風景」(画布98x140cmClic for detail)という横長の作品の画面左半分と,極めて類似した構図であり,相違点としては,奥の円塔が角塔になっており,塔をつなぐ壁が建物に変わり,道行く馬車はなく,馬上の人物も位置と構図を変えていることなどが挙げられる.(ルーブル作品には年記がなく,ステコーも年代推定に言及していない.)
ルーブル作品の項でステコーが「描写に基づくと,極めて類似している」と言及したライプチヒのGottfried
Winkerのコレクション(1768年)にあった「2つの古びた円塔のある河の風景」(画布145
x190cm Stechow, no.381)というサロモン・ライスダール最大の作品がかつて存在した.この作品は,その後の売立会で1834年4月23日(no.91)売却され,その後の消息は不明である.ステコーの記述では,前半は本作品と見事に合致している.「左側にだけ河岸がみえ,そこに堅牢な外壁で連結した2つの古びた円塔がある.塔の下前方には小さな家の塔や近くに低い小屋があり,そばに砂の道が続いている.その高台には馬車が走り,さらに前方には馬上の人物がいる.水辺には小舟が浮かび,その中で漁夫が投網を打っている.広い河の上に,4頭の牛を乗せた渡し舟とたくさんのヨットがある.1661年の年記あり.」
この大画面の作品が切断されて,本作品ともう一点「河の風景」が作られたとすれば,ルーブル作品とライプチヒ作品とで構図がほぼ一致していたという前提で,本作品の縦は約30cm程主に空の部分がカットされ左端はほぼ原状のままで,右半分の「河の風景」は,画布に描かれ横が105cm以下,縦は画面のバランスから80cm以下,署名・年記はなく,牛が4頭乗った渡し舟が描かれている筈である.この条件に合致する4点のうち,no.415「河口に浮かぶ渡し舟」(画布78x100cm)には1661年という本作品と同じ年記とタイプTモノグラムがあったらしいが後入れであった疑いがあり,ステコーが確認した時点ですでに消えていた.この作品が世に現れたのは,1870年12月3日パリでベルリンのH.von
Mecklenburgの売却品としてであった.ステコーによる記述はライプチヒ作品の右半分と矛盾しないばかりか,渡し舟の位置や牛の数,突堤の描写や砂丘上に人物のいることなどルーブル作品の右半分と極めて類似している.「右前方に4人と4匹の牛を乗せた渡し舟が河口に浮かび,左方,2艘の空の小舟の後方に砂丘があり,その上に4人の人物がいて背景の明るい空から浮かび上がって見える.そこから中央へ傾斜しながら木造の突堤が続き,その上に人が立っており,そばに幾艘かのヨットと手漕ぎ舟が停泊している.右遠方に2艘のヨット(帆船)と1艘の手漕ぎ舟がある.−1660年代.」その後,R.K.D.でno.415の写真を入手したところ,本作品との切断端が細部まで一致することが確認された.