この主題は,旧約聖書「列王紀 上」11章(1〜8節)にある.かつては知恵と富と名声で名を馳せたソロモンも,多くの異国の女性たちを王妃として迎え,彼女たちから様々な異教の神を崇拝するようせがまれるままに,神殿を建立し香をたき犠牲を捧げた.ここに唯一の主を信ずるという主との契約が破られたため,主はソロモンの死後(父ダヴィデをたてて存命中は実行しなかった),イスラエル王国を南北に分かつこととなる.
 ヘルティンクによれば,晩年の1635年頃の作と推定され,同様の人物配置の構図の作品が見つかっていないことも考慮して,エスキース(習作)よりも完成作の可能性を示唆している.この時代のフランケンU世の特徴は,色使いが比較的単色調であることや,想像に富んだかぶりものの造形にもあらわれている.
 署名にあるDOVはDe Ouden,すなわちthe elderの略であるが,父であるフランス・フランケンT世(1542-1616)の意味ではなく,父の死後,U世が自身円熟期となった1621年からこの署名を使用しており,彼の長男であるフランス・フランケンV世(1607-1667)と区別するために記されたものらしい(V世は遅れて1639/40年に画家組合の親方の資格を取得している).
 フランケンU世のこの主題の油彩画は10点以上が知られ,横長でソロモンを中央に配したものが多く,縦長で本作品の左半分の構図となっているものも知られている.この作品群は1612年頃から手がけられ,1622年の年記のあるポール・ゲッティ美術館の作品は,大型でクオリティも高く一連の集大作と目される.

カラー画像
フランケンU世「ソロモンの偶像崇拝」(板77x109cm;1622年;ポール・ゲッティ美術館蔵)
ただクレルモン・フェランド美術館の作品だけは女神像で構図に乳飲み子を配しており,ヘルティンクはこれのみを遅れて1630-35年頃と推定している.

フランケンU世「ソロモンの偶像崇拝」(クレルモン-フェラント美術館蔵)
本作品にみられるソロモン後方の群像を男性の従臣とし,その右にささやき交わす側室たちを置く構図はフェランド美術館の作品と同様である.構図の様式の変化をみても,この作品は,これまでに確認されている本主題による作品群の最後期に位置するものである可能性が高そうである.
 従臣の困惑した表情は,フランケンの作品にしばしば登場するものであるが,それ以上に彼らの心情を手や目の動きでいきいきと表現したり,さらにソロモンの描き方,とくに開かれた左手の緊張感が強調され,像を指し示す浅黒い肌の王妃の執拗さは弱められ,老いたソロモンの知的な衰えと固執がより鮮やかに読みとれる画面となっている.また,ソロモンの右に跪くフランケン独特の魅力的な顔をした侍女は,この作品では前面に描き出され,そのショールはマニエリズム風に風をはらむ.像の頭部から王女の頭部,侍女の頭部から足が対角線上に配置され,さらに右後ろの従臣の頭部からソロモンの頭部と左手がもう一方の対角線上にくるように計算されている.なお,像自体は玉を持った男性神の坐像で,その台座に描かれている主題は,男性の傍らに女性が座しているものの判然としない.
 上述の完成された作品群においては,背景に森や建築物が描き込まれていることから,この作品は本主題を新たな発想で描いたエスキースと考えることも可能かもしれない.ただ,ヘルティングの文献によれば,フランケンは1630年頃からそれまでの厚めのインペストから,薄く溶いた油で複数の色彩からなる透明な絵の具の層を塗り重ねる技法を用いるようになり,例えば人物の衣服に紗のような輝きが生まれるようになる.反面,オイルスケッチ風の仕上がりに近い完成作もありうるだろう.
 この良い例として下記作品などが挙げられるが,この主題も同様に1612〜1640年にかけて反復して手がけられている.

フランケンU世「紅海を渡ったのちに族長ヨセフの墓をみいだしたヘブライの民」(板66x111cm;1630年;ベルギー,個人蔵) 「ブリューゲルの世界」展カタログより/東武美術館 1995; 作品番号F26,pp.204-205