本主題は出エジプト記17章3節にある.ユダヤの民が紅海を渡り,渇きの土地レフィディムに辿り着くと,彼らは口々にいう「なぜわれわれをエジプトから連れ出したのか.子供や家畜まで渇きで死なせるためか」.モーゼが神に呼びかけると,主はモーゼにホレブの岩を打つよう命ぜられる.モーゼがこれに従うと,岩から水がほとばしり出て,民は潤わされた.
本作品の劇中のワン・シーンのような瞬間の描写は前レンブラント派からのもので,両手を広げて驚嘆する人々,胸に手を当てたり握った手を掲げて畏敬を示す者たちにもその特徴が見て取れる.しかしながら,モーゼの威厳に満ちた顔立ちには繊細さと洗練が感じられ,ラストマンよりもクラウス・ムーヤールトに近い.
1640-50年頃といえば,レンブラント派はやはり闇の中に浮かび上がる光を描いていたし,工房出身者の多くはフランドルの色彩豊かで流麗な様式へと移っていたから,フィクトゥルスの本作品はこれらとは一線を画している.画面が左右で明暗相分けられている点や東洋風の装束を好んだ点はレンブラント的要素もあるが,基本的には明るい画面で,より抑制された上品な色使いはフィクトゥルス独自のものである.
背後からの光を受けて左端に立つアーロンは「祭司エリに託される幼いサムエル」(ベルリン国立絵画館蔵 1645年 139x138cm)の左端に描かれたサムエルの父エルカナと立ち居・横顔やライティングに共通点が多く,モーゼと祭祀エリにも相似点がある.
「岩を打って水を出すモーゼ」の主題はフランドル派やユトレヒトのマニエリスト,のちには親イタリア派風景画家らが描いているが,レンブラント派に類似作は少ないようだ.モーゼの物語では本主題とよく対照される「マナの収集」が有名であるが,フィクトゥルスは2点(サクラメント クロッカー美術館)を1655年以降に描いている.
「マナの収集」フィクトルス(サクラメント クロッカー美術館)
また,「旅人と牛の載った渡し舟のある風景」に描かれた牛の頭部は,本作品にも登場する.
「旅人と牛の載った渡し舟のある風景」フィクトルス(1650年 コペンハーゲン国立美術館)
様式から見ても,本作品は1650年頃に製作されたと考えるのが妥当であろう.