この主題は,旧約聖書「出エジプト記」2章の物語であるが,同章によると,モーゼは出生後,籠に隠されてナイル川に流されたが,ファラオの王女がこれを見いだし,イスラエル人だとうすうす感じはしたものの我が子として宮廷で大切に育てることにした,とだけ書かれている.
ヤン・フィクトルス「モーゼの発見」(画布176x199cm;1653年;ドレスデン国立絵画館蔵)
ヨセフスJosephus Flavius (AD37/38-)「ユダヤ古代史Antiquitates Judaicae」第2巻9章7節(5章?)によれば,ある日,ファラオが戯れでモーゼに王冠をかぶせたとき,モーゼはこれを投げ捨て踏みつけた.これを見た廷臣たちは将来モーゼがファラオを倒す予兆ではないかと解釈し,彼を試すために,燃えさかる石炭の載った皿と桜桃(一説にはルビーの指輪)の載った皿を差し出したところ,モーゼは天使の導きで石炭をとって口に入れ火傷を負うが,叛意のないことが証明され事なきを得た,とある.これは,後世のヘブライの伝説で,「出エジプト記」4章10節にある「わたしの口は重く,舌も重い」というモーゼの言語障害を説明する創作と考えられている.
本作品も,晩年の硬直さがあるとはいえ,エークハウトの特質である豊かな色使いと場面設定の想像力の好例といえよう.
王女は頭を少しかがめてファラオと視線を合わせ,指し示された右手の女性的しぐさの描写がファラオの批判的な手の表情と呼応している.この二人に幼児モーゼを加えた三角形にハイライトがあたり,右の老若二人の女性,実にエークハウトらしい顔貌をした後ろからのぞき込む廷臣,右の東洋的な学者のような二人….といった順にフェイドアウトし,かつ筆遣いも荒くなってゆく.これは彼に典型的な描き方である.色使いにも,王女のドレスの白,金,青,ファラオの紫,青,金,モーゼの赤と橙といった具合に,工夫を凝らしている.
ファラオの顔貌は,この頃の作品群に頻繁に登場する男性像と同一である.
ヘルブラント・ファン・デン・エークハウト「ルツとボアズ」(画布149x167cm;1672年;ヴァージニア,クライスラー美術館蔵)
ズモウスキによれば,この主題は時々レンブラント派が取上げたが,エークハウトによるとされる歴史画は106点以上が確認されているものの,同主題は本作品以外確認されていないようである.本作品はエークハウト晩年の作であるが,ここに至っても情景の想像を膨らませていたのだろうか.
ズモウスキは,同年作の「キリストの神殿奉献」と共に一群の作品としているが,両者の様式はやや異なっている.
ヘルブラント・ファン・デン・エークハウト「キリストの神殿奉献」(板,59x48.5cm;1671年;
ブダペスト国立美術館)