古典絵画作品のコンディション研究の技法について−国内オークション事情とあわせて−


 2003年の春,国内の某社オークションで,久し振りに17世紀オランダ・フランドル絵画が出品されていました.ここ数年では,私が知る限りではこれが3件目です.
 ひとつは,他のオークション会社で作者不詳の風景画(額にはヤン・ボトと付記)として出品され,個人的には,たぶんへルマン・ファン・スワネフェルトという17世紀オランダの親イタリア派風景画家かその追従者の作品だろうと思ったのですが,カンバスのコンディションが相当悪く,結局国内の画商さんが50万円以上で買って行かれました.
 また昨年は,また別のオークション会社でニコラス・マースの母子の肖像画(たぶん子供のほうは後の加筆と思われます)が作者不詳ということで出品されていたのを後で知ったのですが,売れず終いで,ある画商さんがアフターセールで100万円程で買っていったらしいという話をききました.
 今回はネットカタログで「ジャン・ピータース 航海 板に油彩 エスティメート 7-10万円」という記述がたまたま目にとまり,いかにも17世紀フランドルのヤン・ペーテルスの作品ではないかと思われたので,会社の方に電話で「古い絵ですね」とお尋ねした上で,プレビューに出かけてゆきました.



 下見会場で目にしたのは嵐の近い波間を行く遠近数隻の船を描いた小品(M2号)で,樫の板に描かれた,時代を感じさせるなかなか趣のある油彩画でした.
 板(パネル)は23x14.5cm,木目が短辺方向で,当時のパネル作りからいうと一般的ではなく,オリジナルが切り分けられている場合もありうるのですが,小さなパネルでは割によくあることで,四辺が斜めに削られていることからも一応オリジナルのままらしいと考えました.
 白塗料で書かれた「13」の数字はコレクション番号か売りたて番号を示すもので,その上方には赤いワックス・シールが削り取られた後があります.これもどこかのコレクションや有名画商の元にあった場合つけられていることがあります(そう見せていることもありますが).
 珍しいのは直接板の右上にオランダ語で何か書かれていて(インクが何で書いてあるかは不明),ボイマンス=ファン・ブーニンゲン美術館云々とあったので,思わず「怪しい」と思ったりしました(Boymansと書くべきところがBoymanになっていた...).
 額の縁にも,ペンで右下に 以前の所有者 Suchot,1986 と,下部中央に タイトル Vischoekers op Zee さらに鉛筆で上部に,前述の手書き文に関わると思われる内容がオランダ語で書かれていて,1989年に同館の専門家(学芸員?)がこの絵をみて,アントワープの海景画家ヤン・ペーテルス(1624-1677)の作品であると示唆した,ということらしいのですが.それで,表の枠にも銘板があって「T.G.A: J.Peeters 1624-1677」.額自体は数十年以内に作られた比較的安価ですが二重構造で,この絵にはよくあっているものでした.

 実際に肉眼で見たイメージは下の写真に近く(もう少しきれいかも),表面のニスは厚くはないものの黄変しており,経年変化による木目の凹凸も目立ち,加筆についてはそこそこで,コンディションはまあまあといった程度のように見えました.ブラックライト(UVランプ)で,加筆状態などが分かるので,会場で頼んだら,暗室がないということで,ほとんど役に立ちませんでした.これは以後何とかして欲しいものです.あまりその場で粘っていると,他に関心を持つ人が出てせり値があがってしまうので,カタログだけいただいて帰りました.会社の方の応対がたいへん丁寧だったのが印象的でした.


 オークション当日は午前中の仕事を終え,午後の後半だったので遅めに行きましたが,ここでは百数十ロットを1時間ほどで競っているようです.欧米のオークションでヤン・ペーテルス派(真筆でなく近い作家として)のエスティメートは,小品であることをマイナスして,2000-4000米ドル程度(画商からの購入ならその倍以上),コミッションや輸入手数料は載せずに考え,コンディションとアトリビューション(誰が描いた絵か)の問題とこの絵の必要性から考えて,予算としては15万円程度までとしました.会場の人の入りはまあまあで,この作品では,2人の方が6万円くらいから,たしか5千円ずつ競っていましたが,8万円で止まったので続けて入ってすぐ,9万円で落札してしまいました.これに手数料と消費税がかかり,10万数千円の買い物です.ほかの収蔵品とは桁違い,でも本当にお買い得か○○買いの××失いかは,結局コンディション次第....

 デジカメで蛍光灯下で普通に撮影すると色温度がやや高いのでやや青みを帯びて写りますが(上の全体写真参照),これを画像処理ソフトで最適化またはホワイトバランス合わせを行うと,ニスをクリーニングした状態に近い色合いになります.


 ここで左の暗雲の部分には明らかに広範な加筆があり(濁った灰白色で筆のタッチも残る部分),これはよく見ると現物を肉眼で見ても分かります.逆に白い雲はオリジナルのままのようです.これは暗部の方が,当時の技法では絵具を薄く塗っていたため,長年でいく度かのニスの洗浄の際,薄い部分が落ちてしまっているためです.


 上述したブラックライトを正しく用いると,左の写真のように,顔料を加筆した部分は黒紫色に見えてきます.古いニスは(写真ではかなり紫がかってみえてしまっていますが肉眼では)緑色に見え,厚すぎるとその下は何の情報も読み取れません.この作品では前述した左上の暗雲部の加筆が恐らく薄めのニス層の下に淡く見えており,その他では左下のスポッティングや中央から右下の水平線や波間の顔料が落ちてしまった暗部に比較的新しい加筆が散見されます.右の船のマストも加筆されていたのは意外でしたが,左の船はオリジナルのままのようです.
 また右の写真のようにX線写真をとると,顔料によってX線透過性が異なり,製作過程の情報を得ることができる場合もあります.本作品では顔料が薄く塗られていることもあって,波の白色の厚塗り部分がX線透過性が低く,フィルムで白く抜けて写っていること位しか読み取れませんでした.
 この他の技法としては,下書きを読み取ることのできる赤外線リフレクトグラフィがあるのですが,専用装置は高価です.また,顔料分析(とくに青が重要)や木目から年代を推定する技法などもありますが,当館ではまだ行ったことはありません.
 アトリビューションについては,さらに調査が必要で,同様の主題を,類似の様式で描いた画家にはオランダのヤン・ポルセリスとその近縁画家や,フランドルのペーテルス一派(ヤンよりも父の方が重要ですが)かその追随者が挙げられるでしょう.