この物語は,旧約聖書「士師記」13章にある.カナンの地を奪回後も,執拗なペリシテ人たちとの戦いは続いていた.そこにあって,マノアという男の妻は子に恵まれず年老いていた.ある日,主の使いが彼女の夢に現れて,彼女がみごもること,生まれる子は特別な存在で,その頭にかみそりを入れてはならぬ(髪を切ってはいけない)ことを告げる.これを聞いたマノアは自身で神の奇跡を確かめたいと,使いの再度の来訪を祈り,これは神に聞き届けられる.マノアは現れた使いに名を尋ね,これを饗応しようとするが,使いの男はこれを断り,かわりに子山羊と穀物を神にささげるよう命じる.そして名を告げる代わりに,男は祭壇から立ち上る煙の中で天に昇り去るという奇跡を見せた.そののち生まれた男子が,剛力の英雄サムソンである.

 この作品の天使の構図上の配置と形態はドレスデン絵画館にあるヘリット・ホルストの素描と酷似しているという.ズモウスキはかつてこの素描をホルストによるこの作品の下絵と考えていた.ただし,マノア夫婦の姿勢や動作には大きな隔たりがあり,マノアの姿勢や孔雀などが小道具として描かれている点は後述のラストマンの作品に近い.そして,祭壇が円柱状であることが,他の作品と異なっている.

ヘリット・ホルスト「マノアの燔祭」(ペンに彩色 24x19cm;1635-40年頃;ドレスデン絵画館蔵)

 ズモウスキはその後,この油彩画の作者をホルストと特定するのをやめながらも,この「レンブラント派の画家」がレンブラントの「トビアスのもとを去る天使」を知っていたはずだとも述べている.サットンはこの作品をホルストに帰属するのが妥当と考えている.

レンブラント「トビアスのもとを去る天使」(板66x52cm;1637年;ルーブル美術館蔵)

 この主題は,レンブラント前派からレンブラントの弟子に至るまで,宗教画としてはもっともよく取り上げられたものの一つである.とくにピーテル・ラストマンの作品2点は,その後のプロトタイプとなっている.
 マノアやその妻の姿勢を,驚き・畏怖と崇拝のいずれをより表現するかで,バリエーションがあることは興味深い.

ピーテル・ラストマン「マノアの燔祭」(板72x53cm;1624年;ボルスワルド,個人蔵)


ピーテル・ラストマン「マノアの燔祭」(板66x53cm;1627年;レンブラントの家に寄託,個人蔵)

 この主題で,レンブラント作とされていたのはドレスデン絵画館の名品であるが,これについては以前からも弟子の作品ではないかという意見があり,SumowskiやGersonらによってヤン・フィクトルスの名が挙げられていたが,最近ではW.ドロスト作とするのが有力のようである(Burlington Magazineに文献あり).

レンブラント(派?)「マノアの燔祭」(画布242x283cm;1641年?;ドレスデン絵画館蔵)

 このほかにレンブラントの弟子の作品では,フリンク2点やホーホストラーテンらの作品がある.


ホーファルト・フリンク「マノアの燔祭」(板52x39cm;1636年頃;現所蔵先不明)

ホーファルト・フリンク「マノアの燔祭」(画布74x124cm;1640年;キングストン,クィーンズ大学アグネス・エザリントン・アート・センター蔵)


サムエル・ホーホストラーテン「マノアの燔祭」(画布203x156cm;1670年頃;米国,個人蔵)