風景画の歴史を語る場合,16世紀初めのフランドルの画家ヨアヒム・パティニールに遡る.彼は従来の宗教的モチーフを描くのに主題の人物を小さく配置し,後に「世界風景画」と呼ばれる高い視点から眺めた空想的な美しい世界を,山河や海,森や畑,城や田舎屋に至るまで画面に広く描き込んだ作品を創始し,甥のヘッリ・メット・デ・ブレスらに引き継がれていった.16世紀中葉のピーテル・ブリューゲルT世はこれをふまえながら,抜群の構成力と卓越した描写力で風景画の芸術性を高めた.彼に続くフランドルの画家によって風景画のモチーフは広がっていったが,17世紀初頭において,ピーテルの次男のヤン・ブリューゲルT世は,より鮮やかな色彩,階調豊かな表現と細密な技法を用いて世界風景から森や村落の風景などを描いた.ヨース・デ・モンペルU世は当時確立していた色彩遠近法(前景を茶,中景を緑,遠景を青,の三色で遠近を明瞭に描き分ける)で山岳風景を描き"空想の風景画"を完成させるとともに次期写実的風景画への橋渡しとなり,パウル・ブリルはローマでアダム・エルスハイマーの対角線の構図による自然な遠近法やアンニバーレ・カラッチに始まる点景人物を包む壮大な画面の"理想の風景画"を吸収しフランドルに紹介して後の"親イタリア派風景画"に大きな影響を残した.
 フランドルの画家の一部は,宗教上の理由(プロテスタント迫害)や経済的理由からオランダ(北部ネーデルラント)に亡命したが,アムステルダムに移住したヒリス・ファン・コーニンクスローは鬱蒼とした森の風景を好んで描き,その弟子の中には,"写実的風景画"の成立の中心となった亡命U世のエサイアス・ファン・デ・ヴェルデや,オランダ出身のヘルキューレス・セーヘルスがいた.セーヘルスは,空想と現実の混交した作品でレンブラントの風景画に影響を与え,また,パノラマ風景画の進化に寄与した.