本作品は永らくヤーコプ・ファン・ライスダールの作品とされ,ワ゛ーゲンは実に印象的で詩的な作品と述べているが,ローゼンバーグが初めて疑義を呈しケッセル作と考えられた.ディヴィースもこれに同意しているが,本作品をケッセルの最高作の好例としている.本作品が描かれたと推定されるケッセル中期の1665年(1660年半ば)頃に,彼は滝や大きな木のある風景に興味を示している.ディヴィースno.79「ブナの枯れ木のある森と山の風景(1664)」と描き方が似ており,no.59の「滝のある風景」の白い岩などは非常に類似しており,ライスダール由来ながらケッセルらしい風変わりな教会や明るく日を受けた岩肌,丸い山や雲の形などが独自の様式を特徴づけている.ただ,明暗の対比が過剰気味で空間の設定が明晰さにかける点がライスダールより劣っているのかも知れない.