Andries de Graeff(1611[15?]-1679[77?])は,アムステルダムの市長を1657年から7期14年務めた人物で,ハウブラーケンによれば,フリンクの良き友であったという.デ・フラーフ家はアムステルダムの名門門閥で,ヘラルト・テル・ボルフ(1617-81)が1670年代に家族の肖像画の連作を制作している.

アルトゥス・クェリヌス 「アンドリース・デ・フラーフ像」(部分)(大理石,1661年;アムステルダム国立美術館蔵)

 また,レンブラントもアンドリースと思しき等身大の肖像を1639年に描いており,これらは本作品の人物とよく似ていると思われる.本作品の人物は他の作品と比較しても40才前後に見え,フリンクの名声の時期から考えても,1650年前後に描かれたものと思われる.

レンブラント 「アンドリース・デ・フラーフの肖像(?)」(画布200x124cm;Bredius216;カッセル絵画館蔵)

 テュンペルによればフリンク作のアンドリースの肖像はレンブラント作の約10年後らしいが,Corpusではレンブラント作品の人物はDr.Cornelis Jansz.Witsen(1605-1669)を第一候補と考えており,カッセル美術館のカタログでもこの見解に従っている.
 モルトケのモノグラフには,歴史画約120点,人物画約350点が掲載され,このうち,男性で人物が同定されている作品は48点(現物による同定14点,信頼に足る写真による同定10点),このうち図版掲載のあるものは17点あり,本作品は写真鑑定で図版掲載作品である.