この主題は新約聖書「マルコ伝福音書」16章,「ルカ伝福音書」24章にある.磔刑に処せられたキリストは3日後,復活する.その日エルサレム近郊のエマオ村に向かっていたクレオパら二人の弟子たちは道行きの途中,一人の男と道連れになる.キリスト復活の噂について語らいつつ,一行は日暮れに村に着くが,先を急ごうとする男を弟子たちは宿で夕食に誘う.本作品に描かれているのはまさにこの場面(ルカ伝28-9節)である.一刻して,男が食卓で祝福と共にパンを割って二人に渡したとき,弟子たちは,男がキリストであることを悟った.その瞬間キリストの姿は消える.
この有名な物語は,カラバッジオやレンブラントの作品のように主題としてキリストを前にした弟子たちの驚愕の場面や,道行きの場面が風景画としても描かれることが多く,このように宿屋の前で食事に誘う場面は少ない.
ヒリス・ドンデクーテル「エマオの道行きのある風景」(板49x87cm;1617年;ハーグ,ホーホステーデル画廊より)
レンブラント「エマオの晩餐」(板68x65cm;1648年;ルーブル美術館蔵)
カラヴァッジオ「エマオの晩餐」(画布141x175cm;1606年;ミラノ,ブレラ美術館蔵)
ズモウスキによれば,1983年の時点ではホファールト・フリンクの様式で1640代に描かれた質の高いレンブラント派の作品とされたが,その後の訂正・補遺(Y巻)において,「現物を前にして,M.Roheがズモウスキに1640年代初期のフリンク自身が作者であると考えられることを確信させた」と述べており,私信でも確認がとれている.
本作品は,題材を宗教画として設定しているものの登場人物の描写は風俗画的であるが,キリストを誘っている弟子の動作の描写は秀逸である.情景として画面の大部分を占める風景は重要であり,右下寄りが近景,右上から木の枝が張り出し,左下に遠景,左上に宵闇の空が抜ける画面構成はレンブラントの「マグダラのマリアの前に現れたキリスト」に近い.
レンブラント「マグダラのマリアの前に現れたキリスト」(板61x50cm;1638年;英国王室コレクション)
また,レンブラントのエッチングである「善きサマリア人」(1633年)とは左右が逆転するが,脇のアーチ状の窓から顔をのぞかせている人物の設定が共通している.
この銅版画に基づく左右逆転した油彩画がウォーレス・コレクションにあり,本作品よりやや小振りで,以前はレンブラント自筆とされていた.
ホーファルト・フリンクに帰属「善きサマリア人」(板24x20cm;1630年?;ウォーレス・コレクション蔵)
この作品についてはGerson(1969)が「おどおどした筆遣いで建物はディテールに乏しい」とされ,Corpus(1982)でも,光の当たっていない部分が弱く,井戸や欄干をピンク・灰・緑色でかたどっていることを指摘しており,興味深いことにフリンクの,レンブラント工房にいた1633-4年頃の作品とする見解が主流である.このような特徴は,本作品においても認められるだろう.
キリストの横顔などはフリンクの「オベリスクのある風景」の人物に類似している.
フリンク「オベリスクのある風景」(部分)(1638年;ボストン,イサベラ・スチュアート・ガードナー美術館蔵{盗難で現所在不明})