この主題は新約聖書「マタイ伝福音書」27章,「マルコ伝福音書」15章,「ルカ伝福音書」23章,「ヨハネ伝福音書」19章38-40節にある.イスラエルの民の裏切りで磔刑に処せられたキリストの遺骸を,アリマタヤのユダヤ人ヨセフが総督ピラトに引き取りの許可を得,夕刻,パリサイ人ニコデモの手伝いも得て抱えおろした.傍らには,聖母マリアとマグダラのマリア,福音書記者ヨハネがいた.
 本作品は,サロモン・コニンクの年記が記された数少ない宗教画の一つで,レンブラントの影響を強く受けた1640年代の様式とその後のルーベンスからの影響を取り入れた移行期の作品といえる.そして,ここでもコニンクの関心は形態や色使いや技法に向けられており,信仰には向けられてはいないため,レンブラントのオランダ的な人間の感動やルーベンスのフランドル的な宗教的崇高性は表現されているとは言い難い.しかしながら,ズモウスキも認めているように,この作品の彩色の美しさと精緻さから受ける深い感銘は特筆すべきであろう.

ルーベンス「十字架降下」(板420x310cm;1611-12年; アントワープ大聖堂大祭壇画)
   
レンブラント「十字架降下」(板89.4x65.2 cm;1633年頃, ミュンヘン,アルテ・ピナコテーク蔵)
 バロック様式の「十字架降下」としては,ルーベンスの作品が当時からすでに称賛の的であり,レンブラントにしても,「十字架降下」がオラニエ公から依頼された「キリストの受難」の連作の端緒となっているが,この制作に際して,レンブラント自身,既にルーベンスの大祭壇画をパウルス・ポンディウスによる銅版画によって知っていたという.本作品で十字架に集まる人物像の構図配置は,レンブラントによる「十字架降下」から傍らに横たわる聖母マリアの設定などの着想を得ていると思われるが,キリストの遺骸の向きやレンブラントが減らしていた降下に携わる人物群像の数,十字架を斜方からではなく正面に向け,足下にすがるマグダラのマリア,さらには前景に器を配した点などは,ルーベンスの「十字架降下」を参考にしている.コニンクのオリジナリティは,十字架を画面の中央に置かず右に移動させ,左上方に光と天使を導入し,左下方に聖母マリアを配することで,物語の演出効果をねらった点にあると思われる.コニンクの宗教画の中では,ルーベンスの影響がその後もさらに強まって行く.

 コニンクは静物の中でも金銀の器の表現をとくに得意としたので,本作品にもアダム・ファン・フィヤーネンの銀製鍍金の水差しが銀の皿やマグダラのマリアの香油壺とともに描かれている.

アダム・ファン・フィヤーネン/銀製水差し(アムステルダム国立美術館蔵)
 この器はサロモン・コニンクのもう一つの傑作マウリッツハイス美術館の「三賢王の礼拝」などにも登場する(黄の衣をまとったバルタザールが手に持っているのですが,小さすぎますね)

サロモン・コニンク「三賢王の礼拝」(画布81x66cm;マウリッツハイス美術館蔵)