この主題は,旧約聖書「サムエル記 下」11〜12章にあり,イスラエル王国建国者のダヴィデ王が水浴中の部下の妻バテシバを見初め,その部下を戦地に追いやって彼女を妻とした場面である.
 ズモウスキによれば,本作品はバッケルの重要な歴史画で,とくに2人の人物を描いた構図は稀でもあり,作品の質も傑出しているとのことである.本作品は,ブラウンシュヴァイクのヘルツォーク・アントン・ウルリヒ美術館に素描が残されており,この裏面に"Willmann"と書かれているため,素描はミヒャエル・ヴィルマン作と考えられていた.

「ダヴィデとバテシバ」(褐色紙に黒・白のチョーク48x33.1cm;ヘルツォーク・アントン・ウルリヒ美術館蔵)
同館のトーマス・デーリンクの私信によると,この素描の様式はヴィルマン特有のものとは相当隔たりがあり,むしろバッケルの様式に近いが,素描が先に描かれた原画なのか,後から記録のために描かれたものかの判断は困難であるという.この素描に基づけば,本作品は元来は縦が約190cmあり,上の1/3,下の1/4,左の1/6と右のわずかの部分を残して,切り出されたと推測される.切り出された理由については,残余部分の状態が悪かったか,バテシバの下半身の描写が露骨であるとして同部を省き全体のバランスを考えて切断したのか,大画面の絵画を持ち出すのに緊急避難的に切り抜かれたのか,様々な憶測が可能であるが,いずれにしてもこの絵画が,いずこにかけられていたものかの調査結果が待たれる.ただ,建物の上縁の位置が素描ではかなり上方にあり,また,右の円柱はより内側に置かれており,上の切断部分などはもう少し小さいかもしれない.また,記録のためのスケッチならばこの様な変更は必要ないと思われるので,やはり,この素描が原案であった可能性の方が高そうである.
 バッケルの歴史画に登場する人物の容貌は,しばしば自画像とされる作品のそれと類似しているが,このダヴィデの横顔においても同様である.素描では威厳に満ちた表情が,この油彩では憂いをたたえた表情に変化している点が,情景設定からしても,大変興味深い.バテシバの顔を含めて,過去の修復が入っていることが惜しまれるが,腕や手の表現にはバッケルの,例えばマウリッツハイス美術館の「グレーの服を着た少年」などの肖像画に見られる筆遣いが感じられ,また,バテシバの着衣の白,黄,緑,ダビデのマントの赤,帯の青と,卓越した色使いが印象的である.

ヤーコプ・バッケル「グレーの服を着た少年」(画布94x71cm;1634年;マウリッツハイス美術館蔵)
 卓上の静物も,当時流行の背の高いグラスや皿に盛った果物が描かれ,ラグも入念に書き込まれているが,特筆すべきは蓋のついた銀製鍍金の水差しで,ユトレヒトのアダム・ファン・フィヤーネン(1569-1627)が1614年にアムステルダムの金銀細工師組合のために制作したものである.台座が蹲る猿,取っ手は人体と爬虫類の顔,蓋は横から見るとラクダの頭,体部は巻き貝のイメージで,きわめて独創的であるが,好評を博したため複製も制作されたらしく,レンブラントの師であるラストマン,レンブラント工房出身のエークハウト,同世代のサロモン・コニンクらの作品にもしばしば登場する.

アダム・ファン・フィヤーネン/銀製水差し(アムステルダム国立美術館蔵)